2010年 02月 03日
丘の上の水仙
2月3日(水曜日)

シリーズ春を呼ぶ水仙、の3回目最終回です。
今回は来た時から気になっていた軍艦島(端島)をテーマにしてみました。
軍艦島は皆さんもご存知のように、かっては炭鉱の島で、ここには多くの
人々が住んでいました。
1959年(昭和4934年)頃には5000人もの人々が暮らしていたそうですが、
今は無人島です。無人島になって30数年...。

「たとえ人は居なくなっても住んでいた人たちにとって
 端島は大切な心の故郷なのです」

この言葉は↓に紹介するホームページのトップに書かれている文章の締め括りの
言葉です。
水仙を撮り終えた後、軽く食事をして軍艦島資料館に向かいました。

とても素晴らしいホームペ-ジです。 端島(軍艦島) 



1 丘の上の水仙。(ここからは何時も軍艦島が見えます。)
丘の上の水仙_c0014538_16154839.jpg


2 家族で楽しそう...。
丘の上の水仙_c0014538_1616743.jpg




3 失われた時を求めて...。(軍艦島資料館にて。テレビでビデオが映されていました。)
丘の上の水仙_c0014538_16162622.jpg


4 上から見た軍艦島(軍艦島資料館に貼ってあった写真ですが、何と形容したらよいか...。)
丘の上の水仙_c0014538_16164398.jpg


5 パチンコ屋。(同じく資料館の写真ですが、この島の数少ない娯楽の一つだったことでしょう。
  この島は小さな島だけれど、ここに住んでいた家族には裸一貫で働く確かな親父、お父さん、が居たようです。)
丘の上の水仙_c0014538_16165841.jpg


6 いっち軍艦に似とる。(資料館に上がる階段の壁に貼ってあるポスター。)
丘の上の水仙_c0014538_16175790.jpg


7 軍艦島力撮。(と言いたいところですが、手持ちではこんなもんですか、それでも2枚目の写真に
  写っている柵の上にカメラを持った手を乗せて、息を殺して撮ったのですがね~。^_^;)
  この写真だけカメラはDMC L1で、あとはすべてDMC LC1です。
丘の上の水仙_c0014538_1618143.jpg


by tusima-kaji | 2010-02-03 16:29 | DMC LC-1 | Comments(10)
Commented by jikomannte at 2010-02-03 20:58
4枚目の俯瞰画像を拝見しますと、石炭全盛時代の隆盛が分かりますね。
正に巨大な船、7枚目は軍艦そのものですね。
全盛時代は煙とかも立ち上ってたんでしょうね~。
Commented by 瑠璃 at 2010-02-03 23:17 x
外国のゴーストタウンなどを見て国土が広いからだろうと思ってましたが、
日本でもこんなところがあるなんて驚きですねー。
海と空が綺麗なだけに言葉に詰まりますね。
軍艦島にますます行ってみたくなりました。
6枚目の撮り方いいですね~。参考にさせていただきます。
Commented by nakajimaakira1948 at 2010-02-04 11:42
kaji さん、おはようございます!
1枚目、フランスの牢獄のある島みたいです。
7枚目の力撮、すばらしいですね ・・・ これが見たかったです。

記事の1959年(昭和49年)は どちらかが間違っていますね。
5枚目のパチンコが両手を使っておりませんので どうやら昭和49年(1974年)が正しそうですね。
その頃に、わたしはパチンコを止めました (^^:

Commented by tusima-kaji at 2010-02-04 12:39
純さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
4枚目は鉄筋コンクリートの高層アパートや要塞を積載した
巨大な船ですね~、なんか空母艦のようにも見えますが。

7枚目はもう少しシビアに撮りたかったのですが、いまいち
でした。
どうやらここから見るのが、もっとも軍艦に見えるようです。
Commented by tusima-kaji at 2010-02-04 12:46
瑠璃さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
確かに今はゴーストタウンですね、遠くから眺めて
いるのでそれ程の迫力はありませんが。
最近は一部ですが、島にも上陸できるそうですから、
機会があれば是非行ってください。

6枚目に嬉しいコメントありがとうございます。(^^)
Commented by tusima-kaji at 2010-02-04 13:14
nakajima さん、こんにちは。
今回は7枚目に嬉しいコメントありがとうございます。
もう少しシビアに撮りたかったのですが、ズーム300mmでは
こんなところでしょうか。

5枚目のことで冒頭のテキストの間違いを指摘していただき、
ありがとうございます。
1959年は昭和34年ですから、昭和49年が間違いでした、
この年は島の人口が5259人を数えた年で、当時としては
世界一の人口密度だったそうです。

そんなに沢山住んでいた人々が、一人も居なくなるのですから
エネルギー革命のためとはいえ、寂しい話しですよね。
パチンコを両手でやっていたのは昭和40年頃までですかね~、
懐かしい話しです。この写真は昭和40年以降に撮られたものと
思います、私も今はパチンコをする暇もありませ~ん。(笑)
Commented by sansenkiso at 2010-02-05 07:47
村全部が湖底に沈んで廃村となった徳山ダムにも似ていますね。
時代の趨勢と片付けてしまうには余にも悲しい話しです。
Commented by biwakokayo4 at 2010-02-05 12:21
4枚目の鳥瞰図は初めて・・・
まさしく軍艦の甲板に見えます。
今まで横からの写真は海を行く軍艦に見えていました。
この小さな島にたくさんの方が暮らしていたんですね。
整備して見学できるようになるといいですね。
Commented by tusima-kaji at 2010-02-05 20:19
sansenkiso さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
そうですね、ダムの場合も同じようなことが言えますね、
”故郷は水の底に沈んでしまった...。”
時代の趨勢とはいえ、頷き難いものを感じます。

軍艦島の姿はある意味、現代の象徴かも知れません。
Commented by tusima-kaji at 2010-02-05 20:30
kayo さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
資料館で4枚目の写真を見た時は唖然としました、高層アパートと
要塞のような物を積んだ軍艦が航行している!
でも何故か軍艦とは形容したくなかったのですよね~。^_^;

今では島の一部を整備して見学できるようになっているようです、
できれば島の全部が見学できるようになって欲しいです。


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